人はもう少し家の中の幸せを肯定的に捉えてみてもいいんじゃないか。

私に「面倒くささ」で勝てると思うな!
この思いが毎日日に日に大きくなる。子供の頃から家で遊ぶのが好きで、学校の長期休みに入れば家から出るのは月に数日TSUTAYAに行くだけ。大人になっても出不精で、休日の楽しみといったらとにかく家から出ないということだった。

最近、ようやく念願のフリーランスになった。家で仕事をできるようになり、最低限の買い物以外は外に出なくても済むようになったのだ。不健康だということは大いにわかっているのだが、私にとっては外に出歩いて不特定多数の人間とエンカウントするようなこと自体が不健康そのものなのだ。

こんなことを書くと友達がいない寂しい””ぼっち””と思われるかもしれないので念の為言うと、私はそこそこに友達も多い。それは頑張って外に出ていた頃、学校や職場で出会った友達たちである。彼らはもはや私がそういった面倒くさがりな人間であることを十分に承知した上で、会いに来てくれたり、Skypeで長電話などをしてくれる。

人によっては「そんなのは友達なのか」と言うだろうが、私にとっては十分「友達」と感じているし、寂しさや孤独などは抱えていない。
そんな最高な家暮らしをしていると、家から徒歩3分のコンビニに行ってからあげクンを会いに行くことすら面倒に感じてくるようになる。面倒くささは目的地までの距離の長さとは比例しない。

まぁ、からあげクンを買わずにお金を節約できるならそれも良いだろう。今の時代、家にいても物は買えるし、家にいても楽しいエンターテイメントに満ち溢れている。SNS、動画配信サービス、手芸や工作…、家でできることは無限にあって、ゴロゴロしながら「次は家の中で何をしようかな」と考えているだけで楽しい。考えるだけで何もしなくても幸せ。名作と呼ばれている映画を全て見るには、残りの人生の時間を全て注いでも不可能だと思う。

私が自堕落なのは認めるが、人はもう少し家の中の幸せを肯定的に捉えてみてもいいんじゃないか。
そう考えながら、今日も「何もしない」を謳歌している。批難するような人がいたら戦ってもいい、家まで来てくれるのならば。